日本の野球殿堂である「野球殿堂博物館」がこのほど今年の殿堂入り者を発表しましたが、プロ野球の元選手や指導者が対象となる競技者表彰は1998年以来、23年ぶりに「該当なし」となってしまいました。
ただ、候補者リストを見ると多くの名プレーヤーたちが名を連ねており「該当なし」とはどうにも不可解。プロ野球殿堂入りの条件とは?「なぜ選ばれなかったの?」の理由や殿堂入り選手一覧をまとめてみました。(出典:Wikipedia、殿堂博物館サイトなど)

目次
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プロ野球殿堂入りの条件
プロ野球で顕著な活躍をした選手や監督・コーチ、野球の発展に大きく貢献した人らの功績をたたえて顕彰する野球殿堂。殿堂入りは「野球人」「野球に生涯を捧げた人」にとってはこの上ない名誉だといえます。現在の殿堂入りの条件は以下の通りです。
殿堂入りの条件
【競技者表彰】
▽プレーヤー表彰
対象は引退から5年以上の元プロ選手(今回の候補は30人)。候補者でいられるのは15年間。選考は野球報道に関して15年以上の経験を持つ委員(今回は363人)が務め、7人以内の連記で投票し75%以上の得票が集まった候補が選ばれる。
▽エキスパート表彰
プロのコーチ、監督でユニホームを脱いで6カ月以上が経過しているか、引退から21年以上のプロ選手が対象(今回の候補は20人)。選考は既に殿堂入りした人、競技者表彰委員会幹事と野球報道30年以上の経験を持つ委員(今回は138人)が5人以内の連記で投票し、75%以上の得票が集まった候補が選ばれる。

✨2021年野球殿堂入り発表✨
2021年の野球殿堂入りは、アトランタ五輪代表監督の #川島勝司 氏、ノンフィクション作家の #佐山和夫 氏に決定😀
通知式の様子の一部は、こちらをご覧ください🎵
のちほど、通知式全体の動画をYoutubeに掲載するので、そちらもぜひチェックしてね😉#野球殿堂博物館 https://t.co/DBD0leSohk pic.twitter.com/lqkXoYDfxl
— 野球殿堂博物館@「野球報道写真展2020」「近鉄バファローズ 猛牛戦士たちの記憶」開催中! (@BaseballHOF1959) January 14, 2021
21年投票結果
そして今年の投票結果は、上位候補では以下の通りとなりました。
▽プレーヤー部門(数字は得票数)
・高津 臣吾 259
・山本 昌 244
・A・ラミレス 233
※殿堂入りには269票必要だった
▽エキスパート部門
・R・バース 95
・掛布雅之 73
・大沢啓二(故人) 49
※殿堂入りには101票必要だった
つまり、どの候補も得票率75%に達せず規定により「該当なし」となったわけです。両部門とも該当なしとなるのは、部門制になって以来初めての事態です。

なぜこうなったのか。それは「票が割れた」のが大きな原因です。殿堂の規定ではプレーヤー部門候補者は最大30人、エキスパート部門は20人。去年はそれぞれ21人、16人でしたが今年は規定ギリギリまで増やされたため、票がばらけてしまったようです。では次項でこれまでの殿堂入り選手一覧をご紹介しましょう。
ラソーダさんは野球博物館に何度か来館してくれたよ。写真は2001年の来館時の様子(この時は、たまたま居合わせた小学生がサインをもらっていたよ)と、当館所蔵の1979年日米野球のユニホームだよ。 https://t.co/bfmna9tSVV pic.twitter.com/6JGQ5Crv5H
— 野球殿堂博物館@「野球報道写真展2020」「近鉄バファローズ 猛牛戦士たちの記憶」開催中! (@BaseballHOF1959) January 12, 2021
プロ野球殿堂入り選手一覧
今年の野球殿堂入りが「プロ野球選手からは該当なし」になってしまった「なぜ?」の訳は、候補が多く投票がばらけて当選条件を満たさなかったためと分かりました。
では、これまでにどんな選手が殿堂入りしてきたのか、その選手一覧を以下にまとめました。
番号 | 選手名 | 西暦 | 競技者表彰or特別表彰 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 正力松太郎 | 1959年 | 特別 | 日米野球を成功させ巨人を創設 |
2 | 平岡熈 | 1959年 | 特別 | 我国初の野球チームを結成 |
3 | 青井鉞男 | 1959年 | 特別 | 米チームを破った一高投手 |
4 | 安部磯雄 | 1959年 | 特別 | 学生野球の父 |
5 | 橋戸信 | 1959年 | 特別 | 都市対抗野球大会を創設 |
6 | 押川清 | 1959年 | 特別 | 初のプロチーム「日本運動協会」を創設 |
7 | 久慈次郎 | 1959年 | 特別 | 早大・函館オーシャンの名捕手 |
8 | 沢村栄治 | 1959年 | 特別 | 初期プロ野球界不滅の大投手 |
9 | 小野三千麿 | 1959年 | 特別 | 対大リーグ初の勝利投手 |
10 | ヴィクトル・スタルヒン | 1960年 | 競技者 | プロ野球初の300勝投手 |
11 | 河野安通志 | 1960年 | 特別 | 早大初渡米後ワインドアップ投法を導入 |
12 | 桜井彌一郎 | 1960年 | 特別 | 第1回早慶戦勝利投手 |
13 | 飛田忠順 | 1960年 | 特別 | 穂州の名で健筆をふるった早大名監督 |
14 | 池田豊 | 1962年 | 競技者 | 学生・プロの名審判 |
15 | 市岡忠男 | 1962年 | 特別 | 職業野球連盟初代理事長 |
16 | 中島治康 | 1963年 | 競技者 | プロ野球初の三冠王 |
17 | 若林忠志 | 1964年 | 競技者 | 七色の変化球を投げた頭脳派投手 |
18 | 宮原清 | 1964年 | 特別 | 社会人野球協会初代会長 |
19 | 川上哲治 | 1965年 | 競技者 | 打撃の神様、V9達成の巨人監督 |
20 | 鶴岡一人 | 1965年 | 競技者 | 南海黄金時代を築いた名監督 |
21 | 井上登 | 1965年 | 特別 | 第2代コミッショナー |
22 | 宮武三郎 | 1965年 | 特別 | 投打に活躍した学生野球のヒーロー |
23 | 景浦将 | 1965年 | 特別 | 猛打タイガースの強打者 |
24 | 守山恒太郎 | 1966年 | 特別 | 一高の名サウスポー |
25 | 腰本寿 | 1967年 | 特別 | 慶大黄金時代の名監督 |
26 | 鈴木惣太郎 | 1968年 | 特別 | プロ野球草創期日米野球の交流に尽力 |
27 | 田辺宗英 | 1968年 | 特別 | 後楽園スタヂアム第4代社長 |
28 | 小林一三 | 1968年 | 特別 | 宝塚運動協会・阪急球団結成 |
29 | 苅田久徳 | 1969年 | 競技者 | 華麗な守備の名二塁手 |
30 | 三宅大輔 | 1969年 | 特別 | 巨人、阪急の初代監督 |
31 | 田部武雄 | 1969年 | 特別 | 攻走守揃った天才的プレーヤー |
32 | 森岡二朗 | 1969年 | 特別 | 日本野球連盟初代会長 |
33 | 島田善介 | 1969年 | 特別 | 慶大・三田倶楽部名捕手 |
34 | 有馬頼寧 | 1969年 | 特別 | 東京セネタースを結成 |
35 | 天知俊一 | 1970年 | 競技者 | 中日監督でシリーズ制覇 |
36 | 二出川延明 | 1970年 | 競技者 | 初代パ・リーグ審判部長 |
37 | 田村駒治郎 | 1970年 | 特別 | 松竹ロビンスオーナー |
38 | 直木松太郎 | 1970年 | 特別 | 野球規則を本格的に翻訳出版 |
39 | 中馬庚 | 1970年 | 特別 | ベースボールを”野球”と訳す |
40 | 小西得郎 | 1971年 | 特別 | 独特の話法で人気を博した名解説者 |
41 | 水野利八 | 1971年 | 特別 | 用具の生産・改良に尽力 |
42 | 石本秀一 | 1972年 | 競技者 | 広島カープ初代監督 |
43 | 中野武二 | 1972年 | 特別 | 審判の権威と信頼を確立 |
44 | 太田茂 | 1972年 | 特別 | 運動記者の草分け |
45 | 内海弘蔵 | 1973年 | 特別 | 明大野球部長 |
46 | 天野貞祐 | 1973年 | 特別 | 学生野球協会第2代会長 |
47 | 広瀬謙三 | 1973年 | 特別 | スポーツ記録の第一人者 |
48 | 藤村富美男 | 1974年 | 競技者 | 猛打の初代ミスタータイガース |
49 | 藤本定義 | 1974年 | 競技者 | 29年で5球団を指揮した名監督 |
50 | 野田誠三 | 1974年 | 特別 | 甲子園球場の設計工事責任者 |
51 | 中上英雄 | 1976年 | 競技者 | プロ野球完全試合達成第一号 |
52 | 小泉信三 | 1976年 | 特別 | 学徒出陣壮行早慶戦実施 |
53 | 水原茂 | 1977年 | 競技者 | 巨人第2期黄金時代の名監督 |
54 | 西沢道夫 | 1977年 | 競技者 | 14歳でプロ入り、投打に活躍 |
55 | 森茂雄 | 1977年 | 特別 | 早大監督で9回優勝 |
56 | 西村幸生 | 1977年 | 特別 | 草創期のタイガースを支えたエース |
57 | 松木謙治郎 | 1978年 | 競技者 | 初代タイガース主将、猛打で沢村と対決 |
58 | 浜崎真二 | 1978年 | 競技者 | 48歳で投げた小さな大投手 |
59 | 伊丹安広 | 1978年 | 特別 | 早大の頭脳的名捕手 |
60 | 吉原正喜 | 1978年 | 特別 | 巨人第1期黄金時代の強肩捕手 |
61 | 岡田源三郎 | 1978年 | 特別 | 全ポジションを守った明大万能選手 |
62 | 別所毅彦 | 1979年 | 競技者 | 310勝をあげた南海、巨人のエース |
63 | 平沼亮三 | 1979年 | 特別 | 東京六大学野球連盟第2代会長 |
64 | 谷口五郎 | 1979年 | 特別 | 大正時代の早大エース |
65 | 大下弘 | 1980年 | 競技者 | “青バット”の天才打者 |
66 | 小鶴誠 | 1980年 | 競技者 | シーズン51本の本塁打王 |
67 | 千葉茂 | 1980年 | 特別 | “猛牛”といわれた巨人名二塁手 |
68 | 飯田徳治 | 1981年 | 競技者 | 1246試合連続出場 |
69 | 岩本義行 | 1981年 | 競技者 | 神主打法で1試合4ホーマー |
70 | 佐伯達夫 | 1981年 | 特別 | 第3代高野連会長 |
71 | 小川正太郎 | 1981年 | 特別 | 社会人野球協会結成に貢献 |
72 | 鈴木龍二 | 1982年 | 特別 | セ会長を長年務め、球界の発展に尽力 |
73 | 外岡茂十郎 | 1982年 | 特別 | 学生野球憲章制定に尽力 |
74 | 三原脩 | 1983年 | 競技者 | “魔術師”と称された名監督 |
75 | 内村祐之 | 1983年 | 特別 | 第3代コミッショナー |
76 | 桐原眞二 | 1984年 | 特別 | 早慶戦復活に尽力した慶大主将 |
77 | 杉下茂 | 1985年 | 競技者 | フォークボールの大投手 |
78 | 白石勝巳 | 1985年 | 競技者 | 巨人初期黄金時代の名遊撃手 |
79 | 荒巻淳 | 1985年 | 競技者 | 「火の玉投手」と呼ばれたパ・リーグ初代新人王 |
80 | 田中勝雄 | 1985年 | 特別 | 早大で首位打者3度のスラッガー |
81 | 山内以九士 | 1985年 | 特別 | 野球規則・記録の研究、整備に貢献 |
82 | 中河美芳 | 1986年 | 特別 | 名物の守備で活躍した投手兼一塁手 |
83 | 松方正雄 | 1986年 | 特別 | タイガース初代会長 |
84 | 藤田信男 | 1987年 | 特別 | 法大初優勝監督 |
85 | 山下実 | 1987年 | 特別 | 慶大黄金時代の強打者 |
86 | 長嶋茂雄 | 1988年 | 競技者 | “神宮の星”から”ミスタープロ野球”へ |
87 | 別当薫 | 1988年 | 競技者 | 天性の好打者、4球団の監督歴任 |
88 | 西本幸雄 | 1988年 | 競技者 | 監督歴20年、8度のパ・リーグ優勝 |
89 | 金田正一 | 1988年 | 競技者 | 400勝、4490奪三振 |
90 | 横沢三郎 | 1988年 | 特別 | プロ野球草創期の名審判 |
91 | 芥田武夫 | 1988年 | 特別 | 早大の名外野手 |
92 | 永田雅一 | 1988年 | 特別 | 東京球場をつくる |
93 | 島秀之助 | 1989年 | 競技者 | 初代セ・リーグ審判部長 |
94 | 野村克也 | 1989年 | 競技者 | 戦後初の三冠王捕手 |
95 | 野口二郎 | 1989年 | 競技者 | 延長28回完投の鉄腕投手 |
96 | 池田恒雄 | 1989年 | 特別 | 出版活動を通じ、野球界の発展に貢献 |
97 | 伊達正男 | 1989年 | 特別 | 大リーグに挑んだ早大の鉄腕投手 |
98 | 真田重藏 | 1990年 | 競技者 | ノーヒットノーラン2度達成 |
99 | 張本勲 | 1990年 | 競技者 | 広角打法で3085安打達成 |
100 | 佐伯勇 | 1990年 | 特別 | 近鉄バファローズオーナー |
101 | 牧野茂 | 1991年 | 競技者 | 高度なチームプレーを確立 |
102 | 筒井修 | 1991年 | 競技者 | 選手から3000試合出場の名審判へ |
103 | 島岡吉郎 | 1991年 | 競技者 | 神宮を沸かせた名物明大監督 |
104 | 中澤良夫 | 1991年 | 特別 | 春夏甲子園大会の基盤をつくる |
105 | 廣岡達朗 | 1992年 | 競技者 | セ・パ両リーグで日本一監督 |
106 | 坪内道則 | 1992年 | 競技者 | 1000試合、1000安打第一号 |
107 | 吉田義男 | 1992年 | 競技者 | 今牛若丸と呼ばれた名ショート |
108 | 吉田正男 | 1992年 | 特別 | 中京商業夏の甲子園3連覇投手 |
109 | 稲尾和久 | 1993年 | 競技者 | シーズン42勝をあげた西鉄の鉄腕エース |
110 | 村山実 | 1993年 | 競技者 | 2代目ミスタータイガース |
111 | 王貞治 | 1994年 | 競技者 | 一本足打法の世界のホームラン王 |
112 | 与那嶺要 | 1994年 | 競技者 | ハワイの日系二世三拍子揃った名外野手 |
113 | 廣岡知男 | 1994年 | 特別 | 野球のオリンピック参加に貢献 |
114 | 杉浦忠 | 1995年 | 競技者 | 日本シリーズ全4戦全勝の南海エース |
115 | 石井藤吉郎 | 1995年 | 競技者 | アマ球界の強打者から全日本監督へ |
116 | 呉昌征 | 1995年 | 特別 | 俊足、強肩の名外野手“人間機関車” |
117 | 村上實 | 1995年 | 特別 | プロ野球草創期の阪急球団代表 |
118 | 藤田元司 | 1996年 | 競技者 | 巨人のエースから名監督へ |
119 | 衣笠祥雄 | 1996年 | 競技者 | 2215試合連続出場の“鉄人” |
120 | 牧野直隆 | 1996年 | 特別 | 第4代高野連会長 |
121 | 保坂誠 | 1996年 | 特別 | 日本初ドーム球場建設 |
122 | 大杉勝男 | 1997年 | 競技者 | 両リーグで1000試合、1000安打達成 |
123 | 山本英一郎 | 1997年 | 特別 | 国際派の野球人として活躍 |
124 | 中尾碩志 | 1998年 | 特別 | 速球派から技巧派へ、通算209勝 |
125 | 井口新次郎 | 1998年 | 特別 | 和歌山中、早大の名選手 |
126 | 中西太 | 1999年 | 競技者 | “怪童”と呼ばれた本塁打王 |
127 | 広瀬叔功 | 1999年 | 競技者 | 名外野手で盗塁王 |
128 | 古葉竹識 | 1999年 | 競技者 | カープの黄金時代を築いた名監督 |
129 | 近藤貞雄 | 1999年 | 競技者 | 投手分業制を導入 |
130 | 吉國一郎 | 1999年 | 特別 | 第9代コミッショナー |
131 | 米田哲也 | 2000年 | 競技者 | 949登板、350勝の“ガソリンタンク” |
132 | 福島慎太郎 | 2000年 | 特別 | パ・リーグ会長を2度務めた |
133 | 根本陸夫 | 2001年 | 競技者 | 西武黄金時代の基礎を築く |
134 | 小山正明 | 2001年 | 競技者 | 抜群の制球力で歴代3位の320勝 |
135 | 武田孟 | 2001年 | 特別 | 日米大学野球開催に尽力 |
136 | 長谷川良平 | 2001年 | 特別 | 広島を支えた小さな大投手 |
137 | 山内一弘 | 2002年 | 競技者 | 大毎ミサイル打線の中心打者 |
138 | 鈴木啓示 | 2002年 | 競技者 | 近鉄一筋、歴代4位の317勝 |
139 | 福本豊 | 2002年 | 競技者 | 攻走守三拍子そろった盗塁王 |
140 | 田宮謙次郎 | 2002年 | 競技者 | 15シーズンで打率3割以上7回 |
141 | 中澤不二雄 | 2002年 | 特別 | パ・リーグ初代専任会長 |
142 | 生原昭宏(アイク生原) | 2002年 | 特別 | 日米野球交流の中心的役割を果たす |
143 | フランク・オドール | 2002年 | 特別(新世紀) | 日本の野球技術向上に尽力 |
144 | 正岡子規 | 2002年 | 特別(新世紀) | 野球を愛した明治の俳人・歌人 |
145 | 上田利治 | 2003年 | 競技者 | 熱血指導で阪急を常勝チームに |
146 | 関根潤三 | 2003年 | 競技者 | 投手と野手でオールスター出場 |
147 | 松田耕平 | 2003年 | 特別 | 大リーグを手本に球団改革を推進 |
148 | ホーレス・ウィルソン | 2003年 | 特別(新世紀) | 明治5年に野球を伝えた“日本野球のルーツ” |
149 | 鈴鹿栄 | 2003年 | 特別(新世紀) | 軟式ボールを考案し野球の普及に尽力 |
150 | 仰木彬 | 2004年 | 競技者 | 「イチロー」を誕生させた名監督 |
151 | 秋山登 | 2004年 | 特別 | 大洋初の日本一に貢献した大エース |
152 | 村田兆治 | 2005年 | 競技者 | 豪快な“マサカリ投法”で大活躍 |
153 | 森祇晶 | 2005年 | 競技者 | 日本一3連覇を2度達成した名監督 |
154 | 志村正順 | 2005年 | 特別 | 野球人気に貢献した名アナウンサー |
155 | 門田博光 | 2006年 | 競技者 | 怪我を克服し、史上最年長MVPに |
156 | 高木守道 | 2006年 | 競技者 | 攻走守三拍子そろったバックトスの名手 |
157 | 山田久志 | 2006年 | 競技者 | 独特のサブマリン投法で通算284勝 |
158 | 川島廣守 | 2006年 | 特別 | プロ・アマの協調体制を加速させる |
159 | 豊田泰光 | 2006年 | 特別 | 西鉄黄金時代にクリーンアップを打つ |
160 | 梶本隆夫 | 2007年 | 競技者 | 9連続奪三振は今も日本記録 |
161 | 松永怜一 | 2007年 | 特別 | 優れたアマ指導者でロス五輪優勝監督 |
162 | 山本浩二 | 2008年 | 競技者 | “ミスター赤ヘル”と呼ばれた広島の4番打者 |
163 | 堀内恒夫 | 2008年 | 競技者 | ルーキーで16勝をあげエースとしてV9に貢献 |
164 | 嶋清一 | 2008年 | 特別 | 夏の甲子園の準決勝、決勝でノーヒットノーラン |
165 | 若松勉 | 2009年 | 競技者 | 生涯打率.319の「小さな大打者」 |
166 | 青田昇 | 2009年 | 競技者 | 「じゃじゃ馬」と呼ばれたホームランバッター |
167 | 大社義規 | 2009年 | 特別 | 野球とチームを愛した日本ハム初代オーナー |
168 | 君島一郎 | 2009年 | 特別 | 日本野球発祥の研究をし、「日本野球創世記」を著す |
169 | 東尾修 | 2010年 | 競技者 | 通算251勝、ライオンズのエース |
170 | 江藤慎一 | 2010年 | 競技者 | 史上初の両リーグで首位打者 |
171 | 古田昌幸 | 2010年 | 特別 | 都市対抗16回出場「ミスター社会人」 |
172 | 落合博満 | 2011年 | 競技者 | 史上初の三冠王を三度達成 |
173 | 皆川睦雄 | 2011年 | 競技者 | 南海の黄金時代を支えたサイドスロー |
174 | 北別府学 | 2012年 | 競技者 | 広島3度の日本一に貢献 |
175 | 津田恒実 | 2012年 | 競技者 | 速球を武器に“炎のストッパー”と呼ばれた |
176 | 長船騏郎 | 2012年 | 特別 | 全日本アマチュア野球連盟の結成に貢献 |
177 | 大本修 | 2012年 | 特別 | 「アオダモ資源育成の会」を設立 |
178 | 大野豊 | 2013年 | 競技者 | 80年代の広島黄金時代を支えた左腕 |
179 | 外木場義郎 | 2013年 | 競技者 | 完全試合を含むノーヒットノーラン3度達成 |
180 | 福嶋一雄 | 2013年 | 特別 | 小倉高のエースで夏の甲子園2連覇 |
181 | 野茂英雄 | 2014年 | 競技者 | トルネード投法で人気を博し日米で活躍 |
182 | 秋山幸二 | 2014年 | 競技者 | 80、90年代を代表する俊足強打の外野手 |
183 | 佐々木主浩 | 2014年 | 競技者 | “大魔神”と呼ばれ日米で活躍したクローザー |
184 | 相田暢一 | 2014年 | 特別 | “最後の早慶戦”の実現と戦後の野球復興に尽力 |
185 | 古田敦也 | 2015年 | 競技者 | ヤクルト一筋の日本を代表する名捕手 |
186 | 林和男 | 2015年 | 特別 | 日本リトルリーグ創設に尽力 |
187 | 村山龍平 | 2015年 | 特別 | 全国中等学校優勝野球大会を創設 |
188 | 斎藤雅樹 | 2016年 | 競技者 | 11試合連続完投勝利の巨人のエース |
189 | 工藤公康 | 2016年 | 競技者 | 西武等3球団で日本一11回の“優勝請負人” |
190 | 榎本喜八 | 2016年 | 競技者 | 50~60年代を代表する“安打製造機” |
191 | 松本瀧蔵 | 2016年 | 特別 | 戦後の野球復興に貢献した国際派 |
192 | 山中正竹 | 2016年 | 特別 | 六大学最多48勝、バルセロナ五輪代表監督 |
193 | 伊東勤 | 2017年 | 競技者 | 西武黄金期を支えた名捕手 |
194 | 星野仙一 | 2017年 | 競技者 | 楽天を初の日本一に導いた“闘将” |
195 | 平松政次 | 2017年 | 競技者 | 「カミソリ・シュート」を武器に大洋で201勝 |
196 | 郷司裕 | 2017年 | 特別 | アマの名審判で、審判指導者としても貢献 |
197 | 鈴木美嶺 | 2017年 | 特別 | 日本野球規則委員会で中心的役割を果たす |
198 | 松井秀喜 | 2018年 | 競技者 | “ゴジラ”の愛称で親しまれたスラッガー |
199 | 金本知憲 | 2018年 | 競技者 | 1492連続試合全イニング出場の“鉄人” |
200 | 原辰徳 | 2018年 | 競技者 | 巨人監督で3度日本一、第2回WBC優勝監督 |
201 | 瀧正男 | 2018年 | 特別 | 中京商で選手、指導者として春・夏全国優勝 |
202 | 立浪和義 | 2019年 | 競技者 | 中日一筋、通算2480安打の名内野手 |
203 | 権藤博 | 2019年 | 競技者 | 98年、監督として横浜を日本一に導く |
204 | 脇村春夫 | 2019年 | 特別 | プロ・アマ交流の礎を築いた高野連会長 |
205 | 田淵幸一 | 2020年 | 競技者 | 阪神、西武で474本塁打を放った |
206 | 前田祐吉 | 2020年 | 特別 | 慶大監督を経て、アジア野球連盟事務局長を務めた |
207 | 石井連藏 | 2020年 | 特別 | 早大監督を務め、日米大学野球開催に尽力 |

プロ野球殿堂入りなぜあの選手はなかった?3選
条件に達せず、今回プロ野球殿堂入りに漏れた候補選手一覧をざっと見てみると、前述した6人のほかにも谷繁元信、小久保裕紀、柴田勲、高田繁氏らかつての大人気・名選手がズラリと並んでいます。「なぜこの人が選ばれてないの?」という〝大物落選プレーヤー〟3選を筆者独断で選んでみました。
ランディ・バース
40代以上の野球ファンには「史上最強の助っ人」と脳裏に刻まれる元阪神の主砲。阪神でのプレーは6年と短く、通算記録では743安打、202本塁打、486打点と他の殿堂入り者に比べて傑出したものではありません。
ただ85、86年と2年連続で3冠王を獲得。86年の打率.389はイチロー氏も届かなかった日本最高打率。王貞治氏の記録に並ぶ7試合連続本塁打を放ち優勝に貢献、「神様、仏様、バース様」と呼ばれた存在感は、間違いなく球史に刻まれる外国人選手でした。果たして来年は晴れて殿堂入りできるでしょうか。
ブーマー・ウェルズ
元オリックス(阪急)、ダイエーで10年間プレーし首位打者2回、打点王4回、最多安打4回で84年には打率.355、37本塁打、130打点で3冠王を獲得している、まさにスーパー外国人助っ人。豪快なプレーや明るい人柄で非常に人気ある選手でもありました。
通算打率も4000打数以上で歴代4位(右打者では1位!)の.314。日本球界でのプレー年数と実績から言えばバース氏よりも上の申し分ない成績ですが、なぜかこれまで当選ラインに届いていません。

ホームラントリオ
落合博満(ロッテ)
ブーマー(阪急)
バース(阪神) pic.twitter.com/9X7PUG7Wwu— 俺 藤川愼也 (@b34896shnya211) July 23, 2020
山本昌(本名:昌広)
中日一筋29年の押しも押されもせぬ左腕の大投手。50歳を超えてもプレーしたNPB史上最年長登板記録、最年長勝利記録の保持者で「中年の星」とも呼ばれました。左腕に限れば世界最年長となる41歳でのノーヒットノーラン、08年には史上最年長での200勝を達成した、レジェンドベテラン投手でもありました。
殿堂入りの「暗黙のガイドライン」ともいわれる名球会入りも果たしていますが、今回あとわずか届かず。来年には当選圏に達するでしょうか。
#山本昌のミニ野球教室 第二弾!⑥-②
先程の続きです。
下半身の移動を説明していますが、上半身の使い方は前に説明したものを参考にしてみて下さい。#StayHome #おうち時間#山本昌 #野球 pic.twitter.com/uMjUhQgDfC— 山本昌 (@yamamoto34masa) May 29, 2020
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まとめ
今回の記事をまとめると以下の通りです。
要約すると...
- 今年の殿堂入りはプロ野球選手からは該当なし。誰も規定得票数に達せず
- 候補数が昨年から大幅に増やされ、票が割れてしまったのが大きな原因
- 未選出の「3大大物」はバース、ブーマー、山本昌。掛布、柴田、谷繁らも
ベテラン野球記者や殿堂入り者が中心に話し合いや投票で選ぶ殿堂入りは、かねてから投票の偏りや候補の選び方に疑問の声があるのも確か。
「プロ野球で顕著な活躍をした」「試合記録が野球の発展に貢献」「スポーツマンシップや観衆に与えた魅力に着目」 といった選考条件があるにも関わらず、印象的ではあっても実績はそれほどでもない人が殿堂入りしたり、候補になっているという批判は以前から絶えません。
ファンなどの間には「現役時代、嫌いだったり関係が悪かった選手には投票しない〝意趣返し〟みたいな選考委員もいるのでは」と訝る見方も。野球文化を発展させ最高の権威を守る殿堂だけに「選ぶ側」の見識も厳しく問われるといえそうです。